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「里山復権」 創森社(1800円)「まえがき」から引用  

里山が<SATOYAMA>と海外で呼び称されるようになったのはいつ頃だろうか。

英訳本『SATOYAMA -Traditional Rural Landscape of Japan』(Springer、2003年)の共著者である武内和彦氏(国連大学副学長、東京大学大学院教授)によると、当初、里山をどう 訳したらよいか、本のタイトル名で迷っていたところ、イギリスBBC放送が、動物学者で番組プロデューサーのD・アッテンボロー氏のナレーションで番組『SATOYAMA』を放送したところ、 これが反響を呼んでいて、<SATOYAMA>の認知度はすでに英語圏ではあることをNHKの知人から教えられたという。そこで、TSUNAMIの先例もあるので、むしろSATOYAMAという言葉 をそのまま世界に発信すればいいのだと考え、あえて本のタイトルにしたそうである。

私自身が<SATOYAMA>を海外で実感したのは、2008年5月、ドイツのボンで開催された生物多様性条約第9回締約国会議(CBD/COP9)のハイレベル会議でのことだった。

「日本の里山里海における生物多様性」をテーマに、生物多様性条約事務長のアハメド・ジョグラフ氏や国連大学高等研究所(UNU-IAS)のA.H.ザクリ所長(当時)のほか、 環境省の審議官、石川県と愛知県の知事、名古屋市長らが顔をそろえ、生物多様性を保全するモデルとして里山について言及した。120席余りの会場は人であふれた。COP9全体と すると、遺伝子組み換え技術や、バイオ燃料が生物多様性に及ぼす負の影響を最低限に抑え込むことなどが争点だったが、<SATOYAMA>が国際会議の場で、新しいキーワードとして 浮上した感があった。これは、次回COP10の開催国が日本に固まっていたことや、先立って開催されたG8環境大臣会合(神戸)で採択された「生物多様性のための行動の呼びかけ」で、 日本が「里山(Satoyama)イニシアティブ」という概念を国際公約として掲げたというタイミングもあり、耳目を集めたのだろう。

ジョグラフ事務局長が見た能登の里山(SATOYAMA)

このハイレベル会議でのジョグラフ事務局長の言葉が印象的だった。「人に魚の取り方を教えると取りすぎてしまう。けれども、里山(SATOYAMA)という概念はそれとはまったく異なる」と 述べて、人と自然が共存する里山を守ることが、科学への偏った崇拝で失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守ることにつながると強調した。そのジョグラフ氏が 能登半島を訪れたのは、COP9から4ヵ月後の2008年9月のことだった。
金沢大学、石川県、能登の自治体が連携して開催した里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」 の催しの一環で開催した1泊2日の里山里海の現地見学に参加されたのである。

輪島の千枚田やキノコの山をスタッフが案内し、人々の生業(なりわい)や里山里海を保全する取り組みについて見聞きし、また、金沢大学が取り組む「能登里山マイスター」養成プログラム にも耳を傾けていただいた。翌日は、早朝1時間半も一人で海岸を散策されたという。日程の最後に訪れた「にほんの里100選」の輪島市金蔵(かなくら)地区では、ため池を使った田んぼ づくりの見学や、民家を訪ねて人々の暮らしぶりを目の当たりにして、次のようなコメントを残された。
「(条約事務局がある)モントリオールで日本の里山里海について勉強してきたが、実際に里山里海を訪問し、本物に触れることができとても勉強になった。里山里海は、生き物と農業、そして 人の輪が調和して成り立ち、そこには人の努力があることを実感した。生物多様性については、生き物を保護するだけではうまくいかず、人の暮らしと結びついた取り組みが必要であるが、里山 里海はまさにそのモデルとなるものであり、このことを世界に向けて発信してほしい」このコメントから分かるように、ジョグラフ氏にとって、能登は日本の里山里海をつぶさに見てまわるチャンスだったに違いない。 私は、ジョグラフ氏が能登を訪れた意味合いは大きく2つあったと考えている。

1つは、そこで見た里山里海は「生き物と農業、そして人の輪が調和して成り立つ」一つの社会モデルであった。それは何のモデルかというと、名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締約国会議 (CBD/COP10、2010年10月)で論議されることになる、「生物多様性の持続可能な利用」のモデルである。平たく言えば、環境保全と人間の社会経済活動(農業や漁業など)の両立を、 どのように進めていけばよいのかというイメージをこの能登の視察からつかんだのではなかろうか。

2つ目は、ジョグラフ氏が「そこには人の努力があることを実感した」と述べたように、キノコ山を手入れする人々や、休耕田をビオトープとして学校教育に生かす教師たち、村内に5つある仏教寺院を 長らく守ってきた金蔵地区(人口は160人余り)の人々の姿ではなかったか。
金蔵では、「自然と人、農業、文化、宗教が共生していることに感動した」とも氏は述べられている。里山里海に生きる人々 のモチベーションの高さを見て取ったに違いない。COP9のハイレベル会議でジョグラフ氏が強調した、失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守る人々の姿を実際に能登で見たのである。
生物多様性条約事務局長として、COP10を取り仕切ることになるジョグラフ氏はこの能登視察で里山(SATOYAMA)の有り様、そして里山と里海とのつながりを心に深く刻んだに違い。その後、ジョグラフ 氏はコウノトリ野生復帰計画を支援する兵庫県豊岡市における農業と環境の取り組みについても視察(2010年3月)するなど、日本各地の里山里海に関心を寄せている。

なぜ里山里海を問うのか では、なぜ本書において里山里海を問うのか、また、なぜ里山の「復権」が求められるのであろうか。その問題の構図と私たちの意図について簡単に述べておきたい。その直接的な理由は、日本社会がますます都市集中を強め、 中山間地域での過疎化・高齢化とともに農林業は不振をきわめ、耕作放棄地の拡大によって地域社会そのものが崩壊し始めており、里山をこのまま放置できないとの認識が強まってきたことにある。
本来、里山は長期にわたって、人間の働きかけによってその環境と機能が維持されてきた。国土のおよそ4割を占める里山においては、食料や木材などの生産面での役割以外にも、水田・水路による水循環と気温調節機能、里山林 による空気の浄化機能に加えて、農山村では多様な伝統文化が維持されてきた。食卓の食材の多くは里山の恵みそのものであった。また、石炭・石油の化石燃料が主役となる前は、薪炭が主なエネルギー供給源であり、木材資源と して建築資材や生活の道具として有効利用されてきた。このように、里山はまさに多面的・公益的機能を発揮してきたのである。

しかし近年、里山では荒廃が進み、さまざまな社会経済問題が生じてきた。里山特有の資源が十分に利用されず、保全管理がおろそかとなり、里山の機能低下、あるいは機能不全が起きてきたのである。主な原因はライフスタイルの 変化によるものであるが、経済のグローバル化がそれを加速させた。エネルギー源は薪炭から化石燃料へと変化し、安価な外国産農産物が大量に輸入され消費されるようになった。また、農山村から人口は流出して、里山離れと地方 経済の衰退に拍車がかかってきたのである。
では、こうした里山問題解決への処方箋はあるのだろうか。第1部では、問題の構図と求められる対応課題について論じる。我々は、近年とくに、多くの生き物の生息場所である里山の価値が再認識され、里山の多面的な機能が再評価 されつつあることに注目したい。里山でより多くの生き物が生息するためには、それなりに人手が加えられ、適度なかく乱が必要だという単純な図式について、ようやく国民が関心を持ち始めたのである。このような生態系の機能を 地域の経済や暮らしとどのように結び付けられるのかが問われている。

 里海においても、事態はほぼ同様である。里海とは、人々の暮らしと自然の営みが密接に絡む沿岸海域のことであるが、古くから水産物の生産と流通に加えて、そこには独特の漁村文化と人の交流が生まれてきた。里山と同様、そこは  人と自然が共生する場所であり、人々の持続的な利用と保全活動によって高い生物生産と生物多様性が育まれてきたのである。豊かで健全な里海を守るためには、「太く・長く・なめらかな」物質循環が不可欠である。森から海までは  水循環によりつながっており、陸域(里山)と沿岸海域(里海)を一体的に総合管理する必要があるが、ただし、里海においても資源の利用低下、管理不足が顕在化して、里海の機能低下が危惧されている。  
 
 ところで、里山に類似する景観や資源の管理手法は、アジアをはじめ世界各地に見られる(注1)。ある意味では、「里山問題」は世界各地で起きていると考えられ、したがって国際的な基準に基づく里山の「総合診断」が必要である。  そこで私たちは2007年から、「日本における里山・里海サブ・グローバル評価(里山里海SGA)」を実施することとした(注2)。その目的は、里山・里海からもたらされる生態系サービスを科学的に評価し、里山・里海の保全および持続  可能な利用・管理に向けた方針提起と行動のための科学的な基礎を提供することである。  
 
 日本と同様に、経済発展の著しいアジア諸国では、里山において人口減少や高齢化のために放棄され、都市への人口移動も起きている。各地で無計画な都市化や産業化、資源需要の増加などの圧力にさらされている。その結果、里山機能  の劣化が各地で起きつつあると考えられる。生態系サービスは徐々に低下し、地域あるいは広範囲のコミュニティに深刻な影響がもたらされている。このように見ると、里山問題は国際的スケールでも問われているのである。能登地域を  対象とした私たちのささやかな挑戦が、21世紀の世界に何を発信できるのか、以下、本書で展開していきたい(注3)。  

本書の構成 最後に、本書の構成について述べる。筆者はいずれも長年にわたる研究、実践によって里山の保全に関する知見、成果を蓄積してきた研究者や運動家、自治体当事者などの方々、そして能登の里山里海の再生に直接かかわってこられた方々である。 扱うテーマは、里山の再生、保全・管理から新たな利用まで幅広く、できるだけ具体的に報告と解説をしていただいている。全体として、人の活動と自然が共存できる空間として里山の生態、機能、効用などを明らかにし、持続可能な地域生態系 保全への手がかりをつかむことを企図するものだ。本書を読み解くキーワードは、「地域再生」「地域生態系保全」「持続可能なシステム構築」「環境配慮型農業」「生物多様性」「人材養成」である。

第一部「里山を問う視点」では、「国際的にみた里山」と題して、松田裕之・横浜国立大教授が生態リスクマネジメントという見地から、また、同じく嘉田良平・横浜国立大学教授は「持続可能性な地域農林漁業とは何か」と題して、 里山里海の現状を独自の環境経済学の研究から分析を試みている。ここで「問う視点」とはアンチ・テーゼを投げかけるというより、未来可能性を信じながらシビアに論点を語るということであり、鋭い視点の奥には里山に関する優しい眼差しがある。 第一部の後半には、生き物と共生する地域再生はどうあるべきかについて、二つの実践記録を収録した。金尾氏らは、琵琶湖周辺での魚類保全に注目して、「ゆりかご水田」と命名する生態系保全活動と水田営農とを両立させた壮大な社会実験を行った。 一方、本多氏の論考は、豊岡でのコウノトリ野生復帰事業および琵琶湖周辺での生き物と共生する農業の事例をとりあげ、農業経営の新しい方向性を実践に基づいて示唆したものでる。

第二部「能登半島の里山保全と人材育成」では、環境に配慮した農林水産業の人づくりから里山や里海の再生を始めようという視点で実践している金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムについて教員スタッフ全員が執筆を担当した。能登半島 の先端にある廃校となった小学校施設を自治体から借りて研究と地域交流の拠点をつくり、5年間で60人の環境人材を育てるというプランである。金沢大学には農学部も水産学部も林学部もない。しかし、それらを生態学的な研究手法でくくって、農林水産 業の技術については地元のベテランに指導を仰ぐというカリキュラムを作った。おおよそ「大学らしからぬ」手法ではある。

では、具体的にどのような手法で大学が地域に協力を求め、このプログラムを組み立てたのか。「能登の地域特性と里山マイスターの養成」(川畠平一)では、地域のニーズに合わせ、さらに受講生たちの意見を取り入れたオーダーメイドのカリキュラム 編成をするというキメの細か人材養成の手法が描かれている。多様な個性と夢を有して集まってくる受講生たちにとっては、人材養成というより人生相談に近い親身さである。「地域連携コーディネーターという仕事」(宇野文夫)では、その経緯とノウハウ が紹介されているが、無から有を生み出すような試行錯誤を繰り返す地域連携コーディネーターの姿がそこに描かれている。教員スタッフは博士号を持った研究者でもある。「環境配慮型水田農法の実践」(小路晋作・伊藤浩二・宇都宮大輔)では、 能登に適した「生きもの田んぼ」をどうやってつくっていけばよいのかをテーマに臨地的な研究の視点が注がれている。「地域資源を生かしたビジネスの萌芽と人材養成」(小柴有理江)では、こだわりの農産物づくりと、それを加工して売る直販所や 農家民宿を「6次産業」と位置づけ、スモールビジネスが成立する可能性を能登の事例で見出している。

このプログラムに参加するため、能登半島の先端に次世代の担い手たちが集まっている。地域から、そして東京や名古屋からも。里山や里海の再生にマニュアルはない。だから、大学と地域が連携して人づくりという「能登再生モデル」をつくろうという 意図が見えてくる。緻密なカリキュラム編成(2年間)や、修了論文で自らの人生の出口の扉を開かせるノウハウ。これは「大学でしかできない」、教育の手法だと信じている。
(中村浩二)

【注】 (1)日本の里山以外にも、世界各地に実例が散見される。たとえば、フィリピンのムヨン(muyong)、ウマ(uma)、パヨ(payoh)、韓国のマウル(mauel)、スペインのデヘサ(dehesa)、フランスなどの地中海諸国のテロワール(terroirs)、日本の里山(satoyama)などがあり、タイのコミュニティ林業や、インド、アフリカのアグロフォレストリーにも類似した景観がある。 (2)里山・里海SGAは、国連大学高等研究所を事務局とし、2007年に開始された。全国の研究者、行政関係者らのほか、国連環境計画等からも参加があり、既存の膨大な科学的データを集積・比較・検討した報告書を作成し、国際的評価を目指している。 (3)日本の里山では,過疎・高齢化による利用低下(アンダーユース)が問題であるが,地球全体では,いまも人口爆発,資源過度利用,乱獲,乱開発など過剰利用(オーバーユース)が主課題となっている。また、ヨーロッパでは農家から土地を購入したりして自然に戻すことで生態系保全をしようとしている。これは意図的にアンダーユースを起こそうとしているわけで、里山が放棄されて遷移が進み、生物多様性が低下するという日本の主張は、十分な実証抜きには国際コミュニティに受け入れられないであろう。

<参考文献> 鳥越晧之(編著)2006 『里川の可能性-利水・治水・守水を共有する』新曜社。 Millennium Ecosystem Assessment 編 2007 『生態系サービスと人類の将来』21 世紀COE翻訳委員会訳。 柳 哲雄 2006『里海論』恒星社厚生閣。

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