第7回 作者アーニョロ・ガッディとその時代


大聖堂のモザイク壁画『聖母の戴冠』ガッド・ガッディ

旧食堂に描かれた『十字架の木』と『最後の晩餐』タッデーオ・ガッディ(1347頃)

 サンタ・クローチェ教会の大礼拝堂に描かれた一大壁画連作「聖十字架物語」は、アーニョロ・ガッディ(生年不詳-1396)の代表作であると同時に、14世紀末のフィレンツェ絵画史の一ページを飾る最も重要な作品です。これまでにも何度か紹介したように、アーニョロ・ガッディは中世絵画に大きな革命をもたらしたジョットの後継者として系譜的に位置づけられる画家ですが、現実には政治的、経済的、社会的に激動する14世紀後半のフィレンツェを生き抜きながら、15世紀ルネサンスの幕開けを準備するという大きな仕事を果たしました。

 それだけの歴史的人物でありながら、今のところ彼の生年はわかっていません。定かなことはガッディ工房の三代目であり、14世紀後半にフィレンツェを中心に活動した画家であるということです。アーニョロの父タッデーオ(1290頃-1366)は24年間もジョットの弟子をつとめた画家であり、ジョット(1267-1337)以後のフィレンツェ美術を支えた一人でした。ところで、ガッディ工房の初代はタッデーオの父、つまりアーニョロの祖父にあたるガッド・ガッディという人で、その活動について詳しいことはわかっていませんが、フィレンツェ大聖堂のモザイク壁画「聖母の戴冠」は彼の手になる作品とされています。また、アーニョロにはジョヴァンニという兄弟がいて、初期にはいっしょに協力して制作していたようですが、彼についてはほとんど知られていません。

 これまでのアーニョロ・ガッディに対する美術史的評価は、よくも悪くもジョットによって形成された造形世界から新たな一歩を踏み出すことのできなかった父タッデーオと比較して、時代の変化に柔軟に対応し、シエナ派のアンブロージョ・ロレンツェッティ(1285頃-1348)らが伝えた後期ゴシック様式をフィレンツェ絵画に導入した画家とされています。しかし、一般的にはジョットの絵画革新と15世紀ルネサンスの谷間にあって、これまで大きな脚光を浴びることがなかったというのが正直なところでしょう。


ヴェッキオ橋

 フィレンツェ絵画史におけるジョットからマザッチョまでの約1世紀は、「ジョット派の時代」とか「ルネサンスの夜明け前」といったラベルが貼られて、あまり重要な歴史的意味を与えられてこなかったわけです。14世紀のフィレンツェ絵画史を論じて話題を呼んだフレデリック・アンタルの『フィレンツェ絵画とその社会的背景』(1948)(邦訳:中森義宗、岩崎美術社)やミラード・ミースの『ペスト後のイタリア絵画』(1951)(邦訳:中森義宗、中央大学出版部)が出版されてから早くも半世紀が経ちました。この間に発表されたジョットおよびジョット以後のフィレンツェ美術に関する多くの論考が、1380年代におけるフィレンツェ最大の壁画を修復しながら調査研究していくことで、新たな美術史的視野を形成していくことになるだろうと思っています。先日はフィレンツェ大学のミルコス・ボスコヴィッツ教授や文化財監督局のアレッサンドロ・チェッキ教授らともいっしょにサンタ・クローチェ教会の足場の上で、アーニョロ・ガッディとその助手たちが彩管をふるった同じ場所でいっしょに話をしましたが、この壁画修復プロジェクトを契機として14世紀後半のフィレンツェ絵画のみならず、15世紀前半の初期ルネサンス絵画にも新たな展望が見えてくることはたしかです。


左右の柱上に見えるアルベルティ家紋章

大礼拝堂のアルベルティ家紋章

 さて、この壁画制作というか、ステンドグラスを含めた大礼拝堂の装飾すべてを依頼されたアーニョロ・ガッディが生きた14世紀のフィレンツェを概観してみましょう。14世紀のフィレンツェは一般に想像されているほど平穏な時代でも、経済的に隆盛の時代でもありませんでした。むしろ試練の時代であったと見るべきです。1333年にアルノ川の大洪水があり、石で建設されていたヴェッキオ橋さえも崩壊してしまいました。それでもヨーロッパ有数の産業都市国家フィレンツェは最晩年のジョットを投入して、アルノルフォ・ディ・カンビオによって着手された大聖堂と鐘塔の建設を着実に進めていました。実際にフィレンツェ経済が破綻をきたすのはジョットが没してまもなくの1343年からで、バルディ家、ペルッツィ家、アッチャイウォーリ家などが経営する大商社(銀行)が相次いで倒産に追い込まれたことによる経済恐慌が原因です。イギリス王エドワード3世が対フランス政策で失敗し、その戦争費用をまかなっていたフィレンツェの銀行家が国王の負債を全面的にかぶってしまったことによります。そして、1348年に蔓延したペストでフィレンツェは人口の約半数を失ったと推定され、労働者あっての産業界は逼迫した状況に追い込まれることになりました。

 こうした社会不安の中で、とくにフィレンツェの主要産業であった毛織物を支える最下層の労働者チョンピ(梳毛工)約一万人が武力隆起します。1378年の「チョンピの乱」と呼ばれる一揆です。その後、一揆は鎮圧され、再び一部の富裕な商人階級が都市の実質的支配権を掌握していきますが、こうした商人たちの中に、新たなる15世紀の幕を開けるメディチ家、アルビッツィ家、ウッザーノ家、アルベルティ家などが名前を連ねています。サンタ・クローチェ教会大礼拝堂がアルベルティ家礼拝堂であり、その壁画装飾がチョンピの乱直後に依頼されていることを考えると、壁画技法や壁画制作プロセスの研究とは別に、壁画主題である『聖十字架物語』の背後にあった複雑な社会情勢、混乱と不安の渦中にあって勢力を伸張してきていたフランチェスコ修道会という歴史的要素をしっかりと把握しながら研究を進めなければならないわけです。それは壁画の場面や描写を14世紀末のフィレンツェという文脈に即して読み解いていく、壁画修復作業と同じく長い道のりの美術史研究となるでしょう。


調査レポート 《いよいよ本格的な修復作業に着手》

 2月13日(月)からフィレンツェ修復研究所の4人の専任修復士のほかに新たに4人の修復士が本プロジェクトのために採用されて、現場で活躍しています。いずれも若い女性修復士たちばかりで、工事現場のように殺風景だった足場は急に明るく活気に満ちてきました。それまでは4人の専任修復士が壁画を分担し、自分たちの目で壁面の状況を確認しながら、その詳細な診断結果をトレース地図に記入するという孤独で地道な作業でしたから、なおさらその変化を強く感じるのかもしれません。


暖房設備

足場に取り付けられた温度・湿度センサー

修復現場からの下水はタンクに貯蔵される

 ところで、冬季の足場の気温は平均して6〜7℃で、外部の温度が上がっても足場は冷え切ったままです。この寒さは作業に従事する修復士たちにとって厳しいばかりでなく、壁面洗浄や描画層固着に使用する薬品の化学反応を遅くします。そのため、6階から上の足場が透明ビニールシートで覆われ、温風をダクトで送る暖房装置が取り付けられました。しかし、これを稼働させるには新たな電気配線が必要で、今のところは作業が最上階の天井(窮窿)部分に限定されていることもあり、修復士たちは小型電気ストーブを何台か稼働させて、寒さをしのいでいます。


緊張と活気に満ちた足場の最上階

フリーズ部分のテスト洗浄

テストに用いた洗浄や固着の方法を記録

 6階に設けられた研究スペースにはコンピューターが設置され、インターネットで外部とデータのやりとりもできるようになりました。今後はすべてのデータがこの情報処理ステーションに入力され、蓄積されるようになり、写真撮影による計測データや診断分析データだけでなく、大礼拝堂の数カ所に取り付けられた温度湿度自動計測器からのデータも自動的かつ継続的に環境測定ステーションに入力されて、修復研究所とデータを共有することになります。


金箔の剥離を固定するファブリツィオ

描画層の剥離を固着するマリアローザ

作業の途中で何度も検討が重ねられる

 散乱(正常)光及び斜光線照射による描画面の詳細な写真記録作業、サーマルヴィジョンによる壁画の内部構造調査、紫外線や赤外線撮影による調査、さらには化学的微量分析や物理・化学的検査のための最初の試料サンプリングも実施され、これで壁画の保存状態と実際に施すべき修復方法を決定するための基本的な準備作業が完了しました。現在は天井(窮窿)部分の装飾フリーズに対して、壁画面の補強(固着)と洗浄方法が実験的に検討されています。実際にはまだ試験作業中というところで、壁画作品のもっとも周辺部分において、濃度や温度を変えた各種の洗浄液を用いて洗浄方法のテストが行われています。それと同時に、剥離しかけている描画面に固着剤を注射器で注入し、金属箔が貼られていた部分に固着剤を筆で塗ったりして、壁画面を安定させています。これらのテスト結果を検討した上で、壁画全体にわたる洗浄方法と描画面の固着方法が決定されるわけです。後世の(概して粗悪な絵具を用いての)補筆や修復部分を、今回の修復作業でどのようにするのかも大きな(微妙な)問題となるでしょう。ただ、これは壁画修復作業の第一歩であり、ごく表面的な回復作業でしかありません。それでも1,000平方メートル以上あると概算されている全壁画面を(描画層や金属箔の剥落を固着しながら)洗浄するには約2年はかかるでしょう。その後、第2段階目の、より本格的な修復作業に入るわけです。下に原作部分がかなりのこっている場合には、後世の補筆部分を完全に除去することもあるでしょうし、欠損部分に新たな方法で補筆することもあります。壁面に走る大小さまざまな亀裂の問題を時には建築構造的なレベルで解決し、描画層だけでなく漆喰そのものの剥離をも抑止しなければなりません。


テスト結果を整理するパオラ

毎週金曜日に行われるミーティング(右から2番目がアルベルト)

本格化した修復作業を映像記録する筆者

 目下進行中のテスト作業についての解説は次回にするとして、厳冬の寒さにも負けずに足場の上で活躍中の修復士たちを以下に紹介しておきましょう。



ステファーニア・フランチェスキーニ

ダニエーラ・ムルフィ

イザベッラ・ガンビーナ

クリスティーナ・ナポリターノ


現地レポート 《カーニヴァル・ムードで幕を閉じたトリノ冬季オリンピック》(2006年2月26日)

 競技成績の方はともかくとして、トリノ冬季オリンピック大会ではイタリア文化の奥深さと新しさをこれでもかこれでもかと見せつけられた気がしますが、イタリア人にしてみれば開会式はオペラの延長線上であり、閉会式はカーニヴァルそのものといった認識のようで、私たち以上に熱狂しながらも、その「舞台映え」については私たちとは別の視点から軽く受け止めているところが悔しいところです。


フィレンツェの仮装グループに続いて中国の巨大な竜

紙吹雪(コリアンドロ)を撒きながらのパレード

 トリノのオリンピック会場だけでなく、今はイタリアのどこでもカーニヴァル・ムードで盛り上がっています。絢爛たる歴史絵巻を再現したヴェネツィアのカーニヴァルや、時代をユニークに反映したヴィアレッジョのカーニヴァルは世界的に知られているところですが、ここフィレンツェでもカーニヴァルは春の訪れを告げる大切な風物詩の一つであることには変わりません。


大聖堂前をパレードするブラジルからのグループ

 キリスト教の暦では復活祭(今年は4月16日)前の40日間を四旬節と呼び、この期間は肉断ちと懺悔の生活が強いられるとあって、人々は四旬節を迎えるにあたって体力をつけ、無礼講の祭りで日頃の憂さを晴らしておこうというのが、カーニヴァルの熱狂的エネルギーの根源にあるようです。もっとも、歴史的には古代ローマ時代のサトゥルナリアという春迎えの農耕儀礼をキリスト教が受け継いだものと考えられています。カーニヴァルはイタリア語ではカルネヴァーレと言いますが、その語源はラテン語の「肉を断つ」(carnem levare)ですから、1ヶ月以上も大好きなステーキ(Bistecca fiorentina)が食べられないとなれば、信仰とステーキの誘惑の間で揺れ動く信心深いフィレンツェ人にとってはたしかに深刻な問題だと思います。宗教上の規定では時代によってカーニヴァルの期間に多少の異同があるものの、現実にはクリスマスからずっとお祭り気分が継続していると言っていいでしょう。つまり、12月25日のクリスマス、1月1日の正月、1月6日の主顕節(エピファニア)、2月14日の聖バレンタイン、そしてカーニヴァルへとお祭り気分は名目を変えて2ヶ月間も続くわけです。


カーニヴァル・ムードを盛り上げるブラジル勢

一般市民たちも負けていられない

 今日(2月26日)はトリノ冬季オリンピック大会の閉会式の日でしたが、カーニヴァル期間最後の日曜日とあって、フィレンツェでも今年で第4回目となる各国からの招待パレードなどがあり、ちょっとした盛り上がりを見せていました。それでもルネサンス時代のフィレンツェ人が見たら、「フィレンツェも衰退したものだ」と嘆くでしょうが・・・



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壁画調査中の筆者
みやした・たかはる
1949年東京都生まれ。フィレンツェ大学教育学部(美術史)卒業。ウーゴ・プロカッチ教授のもとでフレスコ画法史を学び、アレッサンドロ・パッロンキ教授およびフランコ・カルディーニ教授に師事して「15世紀フィレンツェ絵画史における三王礼拝図」を研究する。1973-84年までイタリア在住11年。現在は金沢大学教授(教育学部)。専攻はイタリアの中世・ルネサンス美術史で、13-15世紀のイタリアにおけるフレスコ技法と図像学を研究。主な著書に『宮下孝晴の徹底イタリア美術案内』(全5巻 美術出版社)、『モナ・リザが微笑む―レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』(講談社)、『ルネサンスの画家ポントルモの日記』(共著 白水社)、『フィレンツェ美術散歩』(新潮社)、『フレスコ画のルネサンス 壁画に読むフィレンツェの美』(NHK出版)がある。
フレスコ画のルネサンス
―壁画に読むフィレンツェの美

発売日:2001年1月
定価:2,625円
発行:日本放送出版協会
内容:イタリア・ルネサンス美術史の中で、「フレスコ画法の革新性」の意味と、絵画としてフレスコ壁画の果たした役割を考える。
宮下孝晴の徹底イタリア美術案内(1)〜(5)
発売日:2000年8月
定価:各2,940円
発行:美術出版社
内容:イタリアの88都市を巡って、都市に密着した美術史を紹介する美のイタリア巡礼紀行。
フィレンツェ美術散歩
発売日:1991年1月
定価:1,575円
発行:新潮社
内容:中世ルネサンスのおもかげを色濃く残すイタリア・フィレンツェの町を、教会、美術館を中心に紹介する。教会内部の見取り図など、詳細でわかりやすい内容。